「となり町戦争」 三崎亜記 ★★★☆☆
- となり町戦争
- 三崎 亜記
- 集英社
- 発売日:2005-01-05
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史上最も静かな戦争
【内容】
広報で突然知らされた、『となり町との戦争のお知らせ』。とりあえず私が心配したのは職場までの通勤手段だったが、町は今までどおり平穏な様相を呈していた。戦時中だという意識を強めたのは、広報紙に掲載された戦死者数。やはり戦争は始まっていたのか。現実感を抱けないままでいる北原の元に、町役場から偵察業務の任命書が届く。
戦争が公共事業として役所に管理される世界を描く。
【感想】
なんて静かなんだろう。まるで戦争なんて起きていないようだ。
現代を生きる僕ら日本人にとって、戦争なんて他人ごとだ。
どこか遠い国でよくわからない理由のために人々が殺しあっている。それをニュース映像として漠然と眺めるだけだ。どうでもいいような芸能ニュースと同列の扱いとして。
この作品はそんな僕らのリアルを、リアルの戦争に巻き込まれた男を通して描かれているが。
戦闘シーンとか緊迫の作戦会議とかは一切出てこない。
まるでテレビの中の戦争をそのまま持ってきたようで、皮肉というか。。。。返って現実味に溢れている。
戦争を義務と言うか業務として扱うという設定が秀逸。
【引用】
・僕たちの世代というのは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する明確な主義主張を確立する必然性もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として、思考停止に陥りがちだ。戦争というコトバを聞くだけで、僕たちの頭の中に、普遍化されたモノクロの映像が浮かんでくる。行軍する兵士、黒煙をあげて落ちる戦闘機。それらの映像は、僕たちに思考する間も与えず、戦争を否定される力を持っている。
その反面、いわゆる世間では、「正義の為に、愛する人のために」という大義名分をうけて戦うことを正当化する、という図式がまかりとおっている。
・「命の尊さ」というものが、戦争という条件をかぶせられることによって、いとも簡単に切り替えられるという仕組みがうまくわからなかった。「人の死」はいつ、いかなる時であっても「人の死」であり、「殺人」はどんなに言い換えようとも「殺人」でしかないのではないか?
・僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。
【内容】
広報で突然知らされた、『となり町との戦争のお知らせ』。とりあえず私が心配したのは職場までの通勤手段だったが、町は今までどおり平穏な様相を呈していた。戦時中だという意識を強めたのは、広報紙に掲載された戦死者数。やはり戦争は始まっていたのか。現実感を抱けないままでいる北原の元に、町役場から偵察業務の任命書が届く。
戦争が公共事業として役所に管理される世界を描く。
【感想】
なんて静かなんだろう。まるで戦争なんて起きていないようだ。
現代を生きる僕ら日本人にとって、戦争なんて他人ごとだ。
どこか遠い国でよくわからない理由のために人々が殺しあっている。それをニュース映像として漠然と眺めるだけだ。どうでもいいような芸能ニュースと同列の扱いとして。
この作品はそんな僕らのリアルを、リアルの戦争に巻き込まれた男を通して描かれているが。
戦闘シーンとか緊迫の作戦会議とかは一切出てこない。
まるでテレビの中の戦争をそのまま持ってきたようで、皮肉というか。。。。返って現実味に溢れている。
戦争を義務と言うか業務として扱うという設定が秀逸。
【引用】
・僕たちの世代というのは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する明確な主義主張を確立する必然性もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として、思考停止に陥りがちだ。戦争というコトバを聞くだけで、僕たちの頭の中に、普遍化されたモノクロの映像が浮かんでくる。行軍する兵士、黒煙をあげて落ちる戦闘機。それらの映像は、僕たちに思考する間も与えず、戦争を否定される力を持っている。
その反面、いわゆる世間では、「正義の為に、愛する人のために」という大義名分をうけて戦うことを正当化する、という図式がまかりとおっている。
・「命の尊さ」というものが、戦争という条件をかぶせられることによって、いとも簡単に切り替えられるという仕組みがうまくわからなかった。「人の死」はいつ、いかなる時であっても「人の死」であり、「殺人」はどんなに言い換えようとも「殺人」でしかないのではないか?
・僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。



